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8 [remembrance 20070325]

after 8 years.

2007.3.25

あれから、8年の時間が流れた。

あっという間に流れた感じもするが、目まぐるしく変化があった時間。
8年前の同じ日、能登沖で地震があった。
これも何かの知らせのよーだったのかもな。8年前の今日、2007年3月25日 日曜日に生死を彷徨うことになった。

毎年、同じようなコトを書くが、自分の記憶と記録、そして「今」を活きる為に書き残す。

この日、東京からスノーボード仲間と福島の会津にあるたかつえスキー場へ向かった。朝の記憶はあり、現地で別のスノーボード仲間と合流し、一緒に滑りだしたところまでは記憶がある。

・・・

そこから次に目が覚め、自分の意識に残っているのは、10日後(たぶん)、会津中央病院のICUのベッドの上だった。原因はスノーボードでキッカーを跳んで着地後、恐らく凍結していた雪面で滑り、後頭部を強打し、ゲレンデから救急車を2台乗り継いで病院のICUへ運び込まれた。

・・・

その直後、診断された症状としては、

1. 頭蓋底骨折
2. 外傷性くも膜下出血
3. びまん性軸索損傷
4. 高次脳機能障害の記憶障害
5. 髄液漏

後からWEBでググって知った「びまん性軸索損傷」は、受傷から24時間以内に意識の回復がなくて脳幹の障害が認められる場合は、死亡率が約6割で、生命が助かっても意識障害などの後遺症が残るとか。

たぶん、自分の場合は、意識はあったのだろう。記憶障害となっていただけで。

会津中央病院では、ICUを出たあと、一般病棟へ移り、しばらくしてから富山の高岡市民病院へ転院した。
その時から、左耳の聴力に異変を感じて、医師の先生へ訴えていたが結局、何もしてくれなかった。


そして、東京へ戻り、何かあったときのもしもの為にと、病院を探して選んだのが、御成門の東京タワー近くにある、東京慈恵会医科大学付属病院(本院)の脳神経外科へいった。そして、いろいろ話をしていて耳鼻咽喉科を紹介してもらい、検査やCTなどを撮ったら、「耳小骨離断」ということで、左耳の聴力がほぼゼロだったことが発覚。手術する手配を取ってもらことになり、いまでは耳鳴りはするが、普通に聴こえる状態にまで復活した。


奇跡的にも自分はこの世に生き残った。


ただ、ぽっかりと一生思い出すコトのない、空白な時間を抱える事となった。


それがあってか、どーしても事故後の生活では、自分自身でもコントロールできない精神状態にも陥った。


その結果、東京で働き続ける事もできなくなり、会社を辞め、転職先を探すも見つからず、声をかけてもらっていた富山の会社へ行く事となった。この会社では、いろいろと立て直して欲しいとのことで、ずっとオファー的な感じで誘われていた。

正直、最初の給料などの条件は、話しを聞いていた時の金額と、あまりにも違っていて、その結果、自分の生活がガタガタに崩れまくった。そんな状況でも我慢して、やるべき事をキッチリやってきた。そんな感じで、先日、3月に入り、この会社へ来て、5年が経過した。

悪しき原因だった、旧販売管理システムからは完全に移行し、古いハード機器もリース満了で返却も、つい先日でほぼ完了した。これでようやく、スタートラインとなったかと思うし、ここまで持ってくれば、あとは正直、誰やってもできる。
但し、正しい知識を持っていて、組織を取り纏め、動かす事ができる人材であればだけど。


・・・


そんな状況で、自分自身は、なんのメリットも感じなくなり、日に日にアホらしくなる感じもある。
さらに、まわりの感覚や仕事に対する姿勢を感じると、さらに自分がやっている事の虚しさ感が増してしまう日々。


それでいて、仕事以外の事でもやはりなかなか張り合いがなく、この先、どーしていけばいーんだろう?という悩みが頭の中でぐるぐるまわり、最近、また、偏頭痛がするようになってきたりもしている。。。


スッキリする答えはなかなか見えてこないけど、1歩1歩焦らず、着実に前に向かって進んで行ける様に過ごしていこう。



きっと、そのうち、いいコトがある!っと思って精一杯、自分を全うして、愉しく行こう。


Graffiti, 24/7. だ。
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あつし

winona-072さん、nice!ありがとです!
by あつし (2015-03-26 19:27) 

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